商工会 青年部 主張発表大会 原稿公開

こんにちは。
代表の佐藤哲郎です。

こちらの記事で商工会青年部の主張発表大会に出場したことについて書きました。
読者の方の中には

『主張発表したのはよく分かった。で、何を発表したの??』

と言う方が一人ぐらいはいらっしゃるはずです。

今回のブログは私が作った原稿をそのまま公開します。
7回に及ぶ改版を繰り返し、ようやく完成した原稿です。

原稿は以下5つで構成されています。

①プロローグ
②商工会青年部に入部するまでの経緯
③青年部活動を通じて学び、実践したこと
④親の事業を継ぐと言う可能性ある選択肢について
⑤コロナ禍で主張発表大会に立候補することの意義

この原稿を暗記することはもちろんのこと、抑揚をつけて最大限に表現することはとても大変でした。
だけど、間違いなくプレゼンが上手になりました。
このプレゼンスキルは今後、仕事をする上で強力な武器になります。

読まれた方の中には、ここがもう少し知りたいと言う方もいらっしゃると思いますが、そのような方はコメントしてください。
10分と言う限られた時間内では本当に伝えたいことを絞り込まないと時間オーバーしてしまいます。

それでは、一挙大公開です。

~父が導いてくれた佐久市望月商工会青年部と言う名の経営塾~

プロローグ

天国にいる父へ。

聞こえている?
大丈夫だって。
お父さんが作った工場は俺がちゃんと継いでいるから。
まあ苦労も多いけど、生きがい感じながらやっているよ。

皆様はじめまして。私は、佐久市望月商工会青年部の佐藤哲郎と申します。
どうぞ、宜しくお願い致します。

商工会青年部に入部するまでの経緯

6年前の2015年3月に東京から地元望月に戻り、父が創業したサトーステンレスと言う屋号の工場を継ぎ、現在、鉄を加工してオリジナルの薪ストーブを作って販売設置しています。

地元に戻るまでの14年間は、東京のIT企業で、エンジニアの仕事をしておりました。
一方、地元望月にいる父は一人で工場を営んでおりました。

私の家は3人兄弟で男は私一人です。後を継ごうなどとは考えていませんでした。
しかし、私も人の子です。父に何かあった時にあの工場はどうなってしまうのだろうかと言った事はいつも心に引っかかっていました。
日々、葛藤しながら、父と工場のことに目を背け、東京での生活を謳歌しました。

そしてある日。母からLINEで連絡がありました。
そこには、

『お父さんが心筋梗塞で倒れた。』

とありました。実はこの連絡を受けた時

『まあ少し具合が悪くなって病院に行ったのだろう』
と、それほど動揺しませんでした。

半ばのんきに新幹線に乗って地元佐久の病院に赴き、そこで目の当たりにした光景はうつろな目でぼーっと天井を眺め、何もしゃべらない変わり果てた父の姿でした。

私は決断しました。

『俺が工場を継ぐ』と。

それが使命感なのか父を想う気持ちからなのかは今でも分かりません。

一つ言えることはその決断は自ら茨の道を進むと言う事でした。

工場は父一人で切り盛りされていて、従業員は誰もいない。
それは工場を継ぐにあたり誰も教えてくれる人がいないと言う事です。

自分で仕事を覚えるしかありませんでした。

お客様からご依頼いただいた製品が朝7時から夜中の1時までかけてもう上手に作れず、心が折れた時もありました。
疲れきって操作を誤り、機械を壊してしまった事もありました。

しかし、お客様は佐藤くんが作れるようになるまで待っているからと言ってくれました。
だからできるまでやり続けました。

2ヶ月ぐらい経って自分でも納得いくものが出来上がり、お客様に見てもらったところ

『うん。まあ大丈夫じゃねーか。』

この言葉を聞いた時、嬉しくて涙が出ました。

地道に仕事を覚えて、既存のお客様を守り、実戦を経て、少しずつ自信を付けましたが、一年ほど経って父は他界しました。

父が倒れてから他界するまでの間、一言も会話することができませんでした。

少しの間だけでも良いから、父から仕事を教わりたかった。
私の心にぽっかり穴が空いた時期が続きました。

そのような日々を送る中、中学校時代からの友人である青年部長から、商工会の青年部に入部してみないか?との打診を受けました。正直なところ、青年部に対しては

『どうせ飲み会ばかりで大した活動なんかやってないんだろ??』

と懐疑的な目で見ていました。

しかし、地元の同年代の経営者と関わりを持つことで何か得られるのではないか?
それによって、心に空いた穴を少しでも埋められるのでは?

と考えるようになりました。
まあ、つまらなかったらやめればいいと開き直り、入部しました。

青年部活動を通じて学び、実践したこと

そんなこんなで青年部活動がどのようなものか全く分からないまま、定例会に参加しました。そこで議題に挙がったのは行事への出店についてでした。

『なんだ。こんなことばかりで経営に関する勉強会などをやる場ではなかったの。メリットなんて全然感じられない』

とがっかりしたことを今でも覚えております。

まあ、とにかく最低1年はやってみようじゃないかと思い、いざ地元の温泉で催されるお祭りでかき氷の販売をしました。

『いらっしゃいませ!おひとついかがですか?』

と声をかけ、代金をいただき、『ありがとうございます』

と商品をお渡しする。

ここにすべての商売の原則が詰まっていることに気づきました。
どんなにハイテク企業であろうがローテク企業であろうが、 また、お客様が企業だろうが個人であろうが、

『いらっしゃいませ』、『ありがとうござます』

これこそが商売における普遍の原則だと思います。
なぜこれほどまでに感銘をうけたか?
それは企業と言うのはお客様から頂く代金で成り立っており、そのごく当たり前の事が非常に難しい事を父の事業を継いでしみじみと感じたからです。

もう一つは榊祭と言うお祭りで焼きとうもろこしを販売した時のお話です。
ここでは青年部として朝採りとうもろこしを250本も仕入れ、販売しました。

正直、その場にいた全員が余ったら自分たちが持って帰ればいいと諦めていました。

しかし、販売活動をしていく中で、声を大きくしたり、全員で掛け声をしてみたり、

通路の真ん中まで出向いて声を発したり様々工夫をしているうちにもしかしたらいけるかも?
と言う希望から

絶対にいける言う確信へと変わり、当初無理だと思い込んでいた完売と言う目標を達成できました。この時は本当に感無量でした。

これらの経験は私の商売でも大いに役立ちました。
私は軽トラに自分で作った薪ストーブを乗せてイベントに出展します。
そこで先程のかき氷と焼きとうもろこし販売で得たノウハウをそのまま応用しました。
そして、毎回のイベント出展を改善していくうちに、お客様をご紹介いただく大変ありがたい出来事があり、そのお客様とは今でもお付き合いをさせていただいております。

こんなように、商売で大切なことは青年部活動を通じて学びました。
まさに実務に活かせる最高の経営塾であると言えます。

これからの青年部として、一人ひとりが挑戦したいこと、勉強したいことを実現し、仲間を増やしていきたいです。
そして誰もが入部を羨む青年部にしたいと切に願っています。

親の事業を継ぐと言う可能性ある選択肢について

今思うと、あの時、父と工場の事に目を背けて後を継いでいなかったら、青春とも言える今はなかったと思います。
現在、我々のような中小零細企業は後継者不足が深刻と言われております。

『親父が勝手に創った会社を息子が継がなきゃならないなんて古い』

なんて考えていましたが、後を継ぐのも悪くありません。
父親が基盤で思う存分、自分がやりたいように商売ができるのですから。

コロナ禍で主張発表大会に立候補することの意義

最後になりますが、この舞台に立候補するってことは大きな意味があります。

コロナ禍になってから青年部として活動が全くできなかった。
このまま俺たちどうなっちまうんだろうと冷め切っていました。

この舞台は冷め切った青年部にとっての起爆剤となる行事です。

やっと俺たち青年部が活動できる。

ここに至るまで、みんなが毎週毎週練習に付き合ってくれた。

みんな仕事だってあるし家族もいるのにこの舞台の為に付き合ってくれた。

本当に嬉しかった。

俺たち青年部は青くてまだまだ未熟かもしれない。

だけど、この姿勢が隣の地域、長野県、そして全国に伝わってやがて日本が元気を取り戻すことを願って今日は主張発表させていただきました。

最後まで聴いていただいて本当にありがとうございました。
以上です。

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